都市における失踪、当時の言葉で言えば「蒸発」がテーマ。昭和42年(1967)の作品だが、思ったよりも、古さを感じさせない。
PR
以前から読みたかった文豪の若かりし日々のパリ滞在をめぐる回想記を、新潮文庫から出たばかりの新訳で。訳者の解説が充実しており、タイトルの"A Movavle Feast"の由来も初めて知った。
幸田文の『流れる』を再読。あらためて唖然となる。心理小説としての人間観察や社会階層の分析、そして感覚的な言語の使用についての明晰な意識、どれをとっても驚異的だ。書かれたのは昭和30年だから、1955年ということで、当時の文壇は遠藤周作の『白い人』とか、石原慎太郎の『太陽の季節』が登場していた時期である。「三種の神器」として、 電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョンが認知された年だが、この小説にはそのいずれも登場しない。しかしながら、この年代をたとえば同時代の英米文学や、フランス・ドイツの文学と比較してみることも必要だろう。あるいは、映画史での1955年は? East Of Eden (米) や、The Seven Year Itch (米) が封切られた年である。こうした大衆消費社会的な動きとはほぼ無縁のものとして、芸者の置屋という特殊なミクロコスモスが描かれているが、そこにも客のクオリティの変化、芸妓のタイプの変容というかたちで、新旧の世代が交代する「流れ」がないわけではない。